『先義後利』を秘めつつも、その実ヘヴィメタと映画とエロにまみれる日々 修行が足ら~ん
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あけましておめでとうございます
今年も宜しくお願い致します

さて、年頭の1発目、これしかなかろうと、満を持しての登板!
【 DRESSED TO KILL / 殺しのドレス】
オレ的映画の最高傑作。
「あれから何年たったのかしら♪」と小柳ルミ子風に過去を振り返ってみても、
コレを凌ぐ作品は現れない。1980年の作品であるのに。
*これはネタふりです。
さっき、12月31日の晩に、ドラえもんの特番をやっていた。
何と言う作品かは知らないが、チラ見すると・・・
女の人と西洋の甲冑が対峙している。
よく解らないが、女の人はどうやら正義の人で、甲冑は悪者のようだ。
女の人が何だか叫ぶと甲冑は、女の人に向かって、
持ってる剣を投げつけた!女の人は剣を避けて、ついでによろけて倒れる。
*
ここですね。“剣を投げた①”のよね。普通に演出すれば斬りつけるでしょう。
*
己の愚行ゆえに、手持ちの武器を失った甲冑は敵前逃亡する。
追う女の子。ところがあるコーナーを曲がった所で見失ってしまう。
そこで女の子のセリフ②
「見失ったわ」
石造りの袋小路を見渡していると、スキ間を見つける。そこでセリフ③。
「抜け穴のようね」
階段を降りて行ってセリフ④。
「抜け穴があるというのはおじいちゃんに聞いていたけど
伝説だと思っていたわ」
*
長々と引用した理由は、②~④のセリフにある。
映画的な演出をすれば、これらのセリフはありえない。
カメラワークと俳優の演技で表現できるからだ。
又、現実にそのような状況であればまず喋らないからだ。
しかしソコはドラえもん。子供向けのアニメだから仕方がない。
ドラちゃんを攻撃するつもりは毛頭ない。
噴飯ものなのは、①のような演出や②~④の様なセリフが横行している事だ。
とくにドラマが酷い。
そこで「殺しのドレス」である

105分(108分表記の物も存在)の映画であるのだが、物語の前半、
ケイト(アンジー・デッキンソン)が美術館の階段を上るシーンから
リズ(ナンシー・アレン)が登場するまでの約21分53秒の間、
台詞が一つもない!(美術館の観客の声は除く)
105分中の22分であるから、約20.9%、映画全編の1/5が台詞無しって
凄い事だと思う。
もちろんその間、物語は進行している。
約22分の間の人の動き、状況、心理描写、回想等を、
カメラワークと俳優の演技と映像処理で表現しているのだ。
無理して台詞をカットしているのではない。
確かに普通ああいう状況であれば、無駄な独り言は言わないものである。
台詞なしで22分を表現しきるデ・パルマは凄い。
アンジー・デッキンソンふんするケイトは前半、
エレベーター内に潜んでいた殺人鬼に、カミソリで惨殺される。

この↑シーンこそ、
オレがかつて見た中で最も美しい殺人シーンといえる。
カットの割り方、カメラアングル、鏡使い、スローモーション、アップの使い方、
飛び散る血、そして静寂を引き裂く様なバイオリンの恐怖の旋律。
(音楽はピノ・ドナッジオ)
美しい!人が死んでるのに不謹慎極まりないが美しい!
血まみれで残酷なシーンだが美しい!
恐怖と狂気を描いているが美しい!
ナンシー・アレンの美貌も最盛期!美しすぎるぞナンシー!
Jericho君、お正月から色めきたっております!(- -;)
*ナンシー3態*


話がナンシー・アレンになってきているが、言いたいのはそこではない。
上記の映画表現としての素晴らしさに加え、
映画本編は性行為・欲求不満・覗き・性倒錯・隠し撮り・盗聴・娼婦
性病・精神病院、アンジーとナンシーのお下劣エロ合戦などなど、
デ・パルマちっくにしてキワモノ的要素がテンコ盛りなのだ。
しかも、脅威の「同一スクリーン6画面映像」など、デ・パルマテクニックも
炸裂に次ぐ炸裂、炸裂しまくり!
6画面映像(6分割ではない)なんて想像つく??
デ・パルマが何回ラジー賞にノミネートされようが、
Jerichoの「棺桶に入れて欲しい1枚」の座は当分ゆずりそうにない。
今年も宜しくお願い致します
さて、年頭の1発目、これしかなかろうと、満を持しての登板!
【 DRESSED TO KILL / 殺しのドレス】
オレ的映画の最高傑作。
「あれから何年たったのかしら♪」と小柳ルミ子風に過去を振り返ってみても、
コレを凌ぐ作品は現れない。1980年の作品であるのに。
*これはネタふりです。
さっき、12月31日の晩に、ドラえもんの特番をやっていた。
何と言う作品かは知らないが、チラ見すると・・・
女の人と西洋の甲冑が対峙している。
よく解らないが、女の人はどうやら正義の人で、甲冑は悪者のようだ。
女の人が何だか叫ぶと甲冑は、女の人に向かって、
持ってる剣を投げつけた!女の人は剣を避けて、ついでによろけて倒れる。
*
ここですね。“剣を投げた①”のよね。普通に演出すれば斬りつけるでしょう。
*
己の愚行ゆえに、手持ちの武器を失った甲冑は敵前逃亡する。
追う女の子。ところがあるコーナーを曲がった所で見失ってしまう。
そこで女の子のセリフ②
「見失ったわ」
石造りの袋小路を見渡していると、スキ間を見つける。そこでセリフ③。
「抜け穴のようね」
階段を降りて行ってセリフ④。
「抜け穴があるというのはおじいちゃんに聞いていたけど
伝説だと思っていたわ」
*
長々と引用した理由は、②~④のセリフにある。
映画的な演出をすれば、これらのセリフはありえない。
カメラワークと俳優の演技で表現できるからだ。
又、現実にそのような状況であればまず喋らないからだ。
しかしソコはドラえもん。子供向けのアニメだから仕方がない。
ドラちゃんを攻撃するつもりは毛頭ない。
噴飯ものなのは、①のような演出や②~④の様なセリフが横行している事だ。
とくにドラマが酷い。
そこで「殺しのドレス」である
105分(108分表記の物も存在)の映画であるのだが、物語の前半、
ケイト(アンジー・デッキンソン)が美術館の階段を上るシーンから
リズ(ナンシー・アレン)が登場するまでの約21分53秒の間、
台詞が一つもない!(美術館の観客の声は除く)
105分中の22分であるから、約20.9%、映画全編の1/5が台詞無しって
凄い事だと思う。
もちろんその間、物語は進行している。
約22分の間の人の動き、状況、心理描写、回想等を、
カメラワークと俳優の演技と映像処理で表現しているのだ。
無理して台詞をカットしているのではない。
確かに普通ああいう状況であれば、無駄な独り言は言わないものである。
台詞なしで22分を表現しきるデ・パルマは凄い。
アンジー・デッキンソンふんするケイトは前半、
エレベーター内に潜んでいた殺人鬼に、カミソリで惨殺される。
この↑シーンこそ、
オレがかつて見た中で最も美しい殺人シーンといえる。
カットの割り方、カメラアングル、鏡使い、スローモーション、アップの使い方、
飛び散る血、そして静寂を引き裂く様なバイオリンの恐怖の旋律。
(音楽はピノ・ドナッジオ)
美しい!人が死んでるのに不謹慎極まりないが美しい!
血まみれで残酷なシーンだが美しい!
恐怖と狂気を描いているが美しい!
ナンシー・アレンの美貌も最盛期!美しすぎるぞナンシー!
Jericho君、お正月から色めきたっております!(- -;)
*ナンシー3態*
話がナンシー・アレンになってきているが、言いたいのはそこではない。
上記の映画表現としての素晴らしさに加え、
映画本編は性行為・欲求不満・覗き・性倒錯・隠し撮り・盗聴・娼婦
性病・精神病院、アンジーとナンシーのお下劣エロ合戦などなど、
デ・パルマちっくにしてキワモノ的要素がテンコ盛りなのだ。
しかも、脅威の「同一スクリーン6画面映像」など、デ・パルマテクニックも
炸裂に次ぐ炸裂、炸裂しまくり!
6画面映像(6分割ではない)なんて想像つく??
デ・パルマが何回ラジー賞にノミネートされようが、
Jerichoの「棺桶に入れて欲しい1枚」の座は当分ゆずりそうにない。
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