『先義後利』を秘めつつも、その実ヘヴィメタと映画とエロにまみれる日々 修行が足ら~ん
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人間における「証明」の欲求は、「自我」と共に発生する、
根源的かつ原則的なものである。
簡単に言えば、「人は自慢したい」のであるな。
→こんどダイビングに行くんだ。
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
→結婚するんだ。
→珍しいレコードを安く買ったんだ。
また「自我」とは人間の第一原則である〝快楽原則〟に従う心であり、
人としての自然な心でもある。
自慢欲求は自然な欲求なのだな。
恥じることはない。
また、「証明欲求」は避けられないものでありながら必要ななものではない。
「証明欲求」に必要な〝力〟を身につけて発揮していれば、
その証明はおのずと果たされている。
そしてこの「自我=快楽欲求=証明欲求」が自分を超えて
他人に不快な損失・苦痛・危険をもたらすのであれば、
一気に見苦しく醜悪なものとなる。
だから人間は、自我を「意思」をもって抑制する。
***
そして「証明」と対を成す「承認」とは、「認められたい欲求」である・
→こんどダイビングに行くんだ。
羨ましいな!
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
さすがだね!
→結婚するんだ。
おめでとう!
→珍しいレコードを安く買ったんだ。
買い物上手だね!
このように「証明は他者からの「承認」をもって完結する。
だが他者からの承認はえてして他者の証明と重なり正しい承認にならないことがある。
→こんどダイビングに行くんだ。
オレだって登山にいくんだ!
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
オレだってこんなことをしたよ!
→結婚するんだ。
ふーん。
→珍しいレコードを安く買ったんだ。
へー。
これは気分が悪い。
社内においての部下と上司と考えるとゾッとする。
ゾッとするを通り越してヘドが出る。
この場合、先に述べた不快や苦痛に甘んじず、
まして己を失うことなく「自己完結」すること、それが「自己承認」である。
これがこの↓本の簡単な内容である。
「生きる」ということは大変だね。
***
さて本日、1週間ぶりの休日らしい休日。
まずは昼から、ドミンゴと恒例のコーヒータイムを過ごした。
ドミンゴは以前勤めていた会社の同僚だが、
もはや友達の域に入っている。
話すのはもっぱら〝軽く人生論〟。
おっさんたちは自分を高め深めるために勉強をしている。
勉強したことを語り合い、意見を述べ合うのだ。
最近はやっているのは〝強みを生かそう〟というもの。
企業・上司という者どもは、ともすると社員・部下たちの
できていないところをあげつらう。
確かに社員としてはできていないところは認めて改善を図らないとイケナイのだが、
ウンザリしてくるのも確かだ。
ドラッカーも言っているではないか。
「人の弱点は治らない」と。
だから〝強みを生かす〟のだ。
「おっ、ドミンゴ、そこ、ドミンゴの長所だよ!」
「サンキュー、Jericho(握手)」
「それJrichoの強みだ。いいねぇ!」
「ありがとう、ドミンゴ(シェイクハンド)」
どうだろう。
褒めることにより笑顔が生まれ、「ありがとう」とお礼が生まれる。
もちろんできていないことはお互いに反省するのだよ。
放置や野放しにはしない。
われながら、健全なおっさんコーヒータイムだと思うのだが。
「笑っていないとダメだよ!ブラザー!」とホザいていたともだち、
A木Y生君も、それ、正解ですね。
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根源的かつ原則的なものである。
簡単に言えば、「人は自慢したい」のであるな。
→こんどダイビングに行くんだ。
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
→結婚するんだ。
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また「自我」とは人間の第一原則である〝快楽原則〟に従う心であり、
人としての自然な心でもある。
自慢欲求は自然な欲求なのだな。
恥じることはない。
また、「証明欲求」は避けられないものでありながら必要ななものではない。
「証明欲求」に必要な〝力〟を身につけて発揮していれば、
その証明はおのずと果たされている。
そしてこの「自我=快楽欲求=証明欲求」が自分を超えて
他人に不快な損失・苦痛・危険をもたらすのであれば、
一気に見苦しく醜悪なものとなる。
だから人間は、自我を「意思」をもって抑制する。
***
そして「証明」と対を成す「承認」とは、「認められたい欲求」である・
→こんどダイビングに行くんだ。
羨ましいな!
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
さすがだね!
→結婚するんだ。
おめでとう!
→珍しいレコードを安く買ったんだ。
買い物上手だね!
このように「証明は他者からの「承認」をもって完結する。
だが他者からの承認はえてして他者の証明と重なり正しい承認にならないことがある。
→こんどダイビングに行くんだ。
オレだって登山にいくんだ!
→仕事でこんな手柄をあげたんだ。
オレだってこんなことをしたよ!
→結婚するんだ。
ふーん。
→珍しいレコードを安く買ったんだ。
へー。
これは気分が悪い。
社内においての部下と上司と考えるとゾッとする。
ゾッとするを通り越してヘドが出る。
この場合、先に述べた不快や苦痛に甘んじず、
まして己を失うことなく「自己完結」すること、それが「自己承認」である。
これがこの↓本の簡単な内容である。
「生きる」ということは大変だね。
***
さて本日、1週間ぶりの休日らしい休日。
まずは昼から、ドミンゴと恒例のコーヒータイムを過ごした。
ドミンゴは以前勤めていた会社の同僚だが、
もはや友達の域に入っている。
話すのはもっぱら〝軽く人生論〟。
おっさんたちは自分を高め深めるために勉強をしている。
勉強したことを語り合い、意見を述べ合うのだ。
最近はやっているのは〝強みを生かそう〟というもの。
企業・上司という者どもは、ともすると社員・部下たちの
できていないところをあげつらう。
確かに社員としてはできていないところは認めて改善を図らないとイケナイのだが、
ウンザリしてくるのも確かだ。
ドラッカーも言っているではないか。
「人の弱点は治らない」と。
だから〝強みを生かす〟のだ。
「おっ、ドミンゴ、そこ、ドミンゴの長所だよ!」
「サンキュー、Jericho(握手)」
「それJrichoの強みだ。いいねぇ!」
「ありがとう、ドミンゴ(シェイクハンド)」
どうだろう。
褒めることにより笑顔が生まれ、「ありがとう」とお礼が生まれる。
もちろんできていないことはお互いに反省するのだよ。
放置や野放しにはしない。
われながら、健全なおっさんコーヒータイムだと思うのだが。
「笑っていないとダメだよ!ブラザー!」とホザいていたともだち、
A木Y生君も、それ、正解ですね。

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